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大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)1509号 判決

原告

池田照夫

訴訟代理人

伊藤寿朗

被告

野田早苗

被告

丹羽佐和子

被告ら訴訟代理人

田辺満

主文

被告らは各自原告に対し金一万〇、八〇〇円と、これに対する被告野田早苗は昭和四七年四月一九日から、同丹羽佐和子は同月一八日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

被告らは原告に対し各自金三七万四〇〇〇円と、これに対する被告野田早苗は昭和四七年四月一九日から、同丹羽佐和子は同月一八日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

二、被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二  当事者の事実上の主張

一、本件請求の原因事実

(一)  原告は、「クラブ藤沢」を経営しているが、被告野田早苗は、昭和四六年一〇月三日ころから、昭和四七年三月一五日ころまで同クラブでホステスとして稼働した。

野田早苗は、昭和四六年一二月二八日付入店保証書なる書面を原告に差し入れたが、それには、「同被告が退店時には借金並びに口座売上未収金は一切現金で支払う」旨の条項(以下本件約定という)がある。

被告丹羽佐和子は、同日、同野田早苗の右債務の連帯保証をした。

(二)  被告野田早苗の退店時その口座に別紙売上未収金一覧表記載の未収金があつた。

(三)  原告は、被告野田早苗に対し、スチームバスセンター「ニユーウメダ」の入浴券購入代金一万〇、八〇〇円を貸与した。

(四)  そこで、原告は、被告らに対し各自以上の合計金三七万四、〇〇〇円と、これに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である被告野田早苗は昭和四七年四月一九日から、被告丹羽佐和子は同月一八日から各支払いずみまで民法耗定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、答弁と主張

(認否)

本件請求の原因事実は全部認める。

(抗弁)

本件約定中口座売上未収金支払いに関する部分は、次の理由により良俗に違反し無効である。

(一) クラブで客が遊興飲食した代金は、原告の債権でありホステスが負担すべき性質のものではない。

(二) クラブのホステスが退店当時口座売上未収金を支払うのは、ホステスが客とともに他店に移りクラブ側が代金の回収に困難をきたすからである。被告野田早苗はホステスをやめたのであるから、この場合に該当しない。

(三) ホステスはやめようにも、口座売上未収金を支払わない限りやめることができず、人身の自由が拘束される。

(四) このように、原告は雇主の優越的地位を利用して経営者の負担すべき危険を回避し、労することなく代金回収を図ることを目的とするもので、単に客の接待係として雇用されたにすぎないホステスに対し不当な不利益を課すことになる。

三、抗弁に対する原告の反駁

クラブではホステスが客を連れてくるシステムになつており、その客の遊興飲食代金はホステスの口座に計上され、ホステスがこれを回収する。従つてホステスは単なる接待係ではなく、経営者的立場にあり、口座に計上された売上高に応じて歩合給の支払いを受ける。これを売上制といつて給料制と区別している。

被告野田早苗は、クラブ藤沢が売上制であることを承知のうえでホステスになつた。

本件約定はクラブ業界では一般に行われているものであり、民法九〇条に違反するいわれはない。

第三  証拠関係〈略〉

理由

一本件請求の原因事実は当事者間に争いがない。

二そうすると、被告らは、各自原告に対し入浴券購入代金の借金一万〇、八〇〇円を支払わなければならない。

三本件約定中口座売上末収金について

原告と被告野田早苗間に、同被告が退店する時、口座の売上末収金は一切同被告が現金で支払う旨の約定があり、被告丹羽佐和子がこの債務の連帯保証をしている(以下これを本件約定という)が、当裁判所は、本件約定は、以下の理由により民法九〇条に違反し無効であると解するものである。

(一)  もともと、顧客の遊興飲食代金は、クラブの債権であつて、ホステスの債権ではない、従つて、クラブが顧客に直接請求し、その代金の支払いが得られないときは、法的手段に訴えれば足りる。

本件では、原告の経営するクラブ藤沢で顧客が遊興飲食をしたときには、クラブ側が顧客にサインを求め、ホステスの口座に記帳したうえ二〇日締切りで、クラブ名で顧客に直接その代金を請求する請求書を送付し、顧客は大抵銀行振込で支払つており、ホステスが集金に当つてはいなかつたことが、〈証明〉によつて認められ、この認定に反する証拠はない。

(二)  ところが、ホステスが退店するとき、なぜ口座売上未収金をホステス自身が現金で支払わなければならないのか。本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、その合理性と必要性が認められる証拠はない。

原告は、その合理性を売上制に求めているが、この売上制は、まことにホステスに不利なものでしかない。つまり、売上制の基本となる売上額は、ビール、ツマミなどいわゆる小計の飲食代であつて、テーブルチヤージ、指名料、サービス料はのぞかれ、しかも顧客が請求を受けて四〇日以内に支払わないときには、ホステスに指名料は支払われず、口座の売上金から外されて歩合が計算されるのである。従つて、ホステスは、顧客に対し側面から代金支払いの督促をすることに意を用いざるを得なくなり、クラブ側は座して債権の回収をはかることができるのである。

(三)  被告野田早苗は、退店を原告に申し出たとき、原告は、本件約定を楯に口座の売上未収金を直ちに支払うべく、支払えないなら店に出るよう求めてタクシーを呼んだことが、〈証拠〉によつて認められる。そうすると、本件約定がある限り、現金を即時に支払う能力のないホステスは、退店の自由が奪われることになる。それも、ホステス自身の借金ではなく顧客の借金であり、退店時その金額の予測がつかない高額になりうるのである。本件約定がこのような人身の自由を拘束するために機能することは由々しいことといわなければならない。

(四)  ホステスが、退店したいときには、本件約定がある限り、次に移るべきクラブ、バーなどから金を借りて支払わなければならなくなるが、そうすると、ホステスは新な前借金を背負い込むことになり、クラブ側では、自らの努力と危険で回収すべき売上未収金を、やめて行くホステスから難なく回収することができることになる。ホステスが、このような不均衡、不利益な扱いに甘んじなければならない正当性が見出だせない。

(五)  被告野田早苗は、クラブ藤沢で月平均約金八万円位の収入を得ていたが、毎日美容院で髪のセツトをし、自弁の衣裳代に収入の約半分をあてていたものであるから、ホステスとして高給を得ていたものではないのに対し、原告は、当時一二名位のホステスを使用してクラブを経営していたことが〈証拠〉によつて認められる。

そうすると、経済的には格段の優位に立つ原告が、一方的に自己にのみ有利な本件約定を結んだわけで、経済的弱者である同被告が本件約定によつてなんらの利益を得ることがないばかりか、却つて退店の自由が拘束されかねなかつたのである。

(六)  このようにみてくると、本件約定には、なんらの合理性、正当性が見出せない。

もともとクラブ側の債権であつてクラブがその危険において回収をはかるべき性質のものを、ホステスの退店時にホステスが現金で即時に支払わなければならないとする本件約定は、余りにも経済的弱者に不利益を一方的に課すばかりか、ホステスが退店し難くなつて人身の自由が拘束される弊害のある点に着目したとき、本件約定は、良俗に違反し民法九〇条により無効であるとするほかはないのである。従つて、被告丹羽佐和子には連帯保証債務はない。

四以上の次第で、原告の本件請求は、被告らが各自入浴券購入の借金一万〇、八〇〇円と、これに対する本件訴状送達の日の翌日である被告野田早苗が昭和四七年四月一九日から、同丹羽佐和子が同月一八日から各支払いずみまで民法所定の年三分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当として認容し、これを超える部分を失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

(古崎慶長)

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